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曾宮一念『榛の畦みち・海辺の熔岩』(講談社/1995年) [中村彝を知るための45冊]

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 本書は、曾宮一念が1955年(昭和30)に出版したエッセイ集『榛(はん)の畦みち』(四季社)と、1958年(昭和33)に出版した同集『海辺の熔岩』(創文社)とを合体し、講談社が1995年(平成7)に講談社文庫へ収めた作品です。同書では、「中村彝回想」と題する項目(「海辺の熔岩」内)で、さまざまなエピソードが語られているばかりでなく、彝が『海辺の村(白壁の家)』を制作した房総・布良(めら)の描画ポイントを8mmカメラ片手に訪れたり、同じく房総で制作していた青木繁の表現と彝の仕事を対比させて美術論を試みたりと、彝に関する情報が盛りだくさんな内容となっています。描かれた中村彝の様子は、日々もっとも身近に接し、彝自身も気を許して何でも打ち明けていたらしい曾宮一念でしか証言しえないものも含まれており、たいへん貴重な記録となっています。なお、『榛の畦みち』(四季社/1955年)と『海辺の熔岩』(創文社/1958年)の原本では、エッセイの合い間に曾宮一念の挿画がほどこされていますが、講談社の文庫本版ではそのすべてが省かれており見ることができません。
 現在、講談社文庫の同書はすでに絶版となっているようですが、古書店ではかなり数多く流通していて入手も容易なようです。また、図書館などでも収蔵しているところが多そうです。1950年代に出版された原本の2冊は、古書店でも流通していますが比較的高価です。大きめな図書館や美術館のライブラリーなどにも収蔵されていますが、館外持ち出し禁止の館内閲覧のみに限られているところが大半です。


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小島善太郎『若き日の自画像』(雪華社/1968年) [中村彝を知るための45冊]

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 1968年(昭和43)に雪華社から出版された、小島善太郎の自叙伝『若き日の自画像』です。画家への道を歩みながら、他の画家たちには見られない過酷な経験をしてきた小島善太郎ですが、本書は淀橋に生まれ育ってから、醤油屋への丁稚奉公時代、両親と妹を相次いで亡くした下落合時代を経て、大久保の中村覚陸軍大将邸へ書生に入るまでの、波乱に満ちた青春時代が描かれています。本書では、通っていた太平洋画会研究所で中村彝を見かけ、彝が研究所でデッサンをする様子を詳細に書きとめています。また、小島は新宿駅東口にあった新宿中村屋の「碌山館」を頻繁に訪ねており、当時は柳敬助が住んでいた店舗裏のアトリエも訪問しています。相馬夫妻と懇意になったのをはじめ、そこでも小島は高村光太郎らとともに、中村彝に出会っています。彝に関する記述はほんの一部にすぎませんが、のちに里見勝蔵や前田寛治、佐伯祐三らとともに1930年協会で活躍する小島の目から見た彝の様子が新鮮です。
 古書店ではよく流通しているのを見かけますので、本書の入手は比較的容易です。図書館や美術館のライブラリーでも、収蔵しているところが多いようですが、雪華社の普及版ではなく豪華版の場合は、館外への持ち出しが禁止されているところもあるようです。

写真は、小島善太郎『若き日の自画像』(豪華版)の表紙


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ただいまのご賛同者数。 [最新情報]

遠山五郎「デスマスク」1924.jpg

 「中村彝(つね)アトリエ保存会」へご賛同いただき、ありがとうございます。
 現在の署名数を、ご報告いたします。再び地元の下落合からのまとまったご署名により、署名簿の総数が増えています。佐伯祐三のアトリエが整備されるにつれ、中村彝アトリエの保存を懸念されている方が増えているものと思われます。「アトリエ保存会」では、ひきつづき彝アトリエの保存が少しでも早く実現できるよう、所有者の方および新宿区へ働きかけてまいります。より多くの方々の、ご賛同が得られればと存じます。
 現在のご賛同者数は・・・
  3,401名
 となっています。なお、ご賛同いただきました署名は、「保存会」より新宿区およびアトリエ所有者の方へ随時おとどけいたします。よろしくお願い申し上げます。

もうすぐ12月24日がめぐってきますが、1924年(大正13)に亡くなった中村彝の85回目の命日です。写真は、臨終の彜を描いた遠山五郎『デスマスク』。


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運営活動資金のご報告。(11月期) [最新情報]

彝アトリエ1980.jpg

 彜アトリエの保存へご賛同いただくみなさまから、「中村彝アトリエ保存会」の運営活動費としまして、郵便口座や事務局へご寄付をいただいております。「保存会」一同、改めて心よりお礼申し上げます。11月末現在の運営活動費はご寄付があり増えていますが、支出面での通信費や郵送費、用紙代などの発生で残額は先月に比べて微減しています。
 ●総収入:424,071円
 ●総支出:167,792円
 差引金額:256,279円
 「保存会」ではご賛同いただけるみなさまへ、その活動が持続できるよう運営活動費のご寄付をお願いしております。趣旨にご賛同いただき、運営活動費へのご支援・ご協力をいただける方がいらっしゃいましたら、当該の郵便口座あてにお振り込みをいただければ幸いです。
 中村彝アトリエを、末長く後世へと保存できるよう、「保存会」活動へのみなさまのご理解、そしてご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げるしだいです。

写真は、1980年代に撮影された雨上がりの中村彝アトリエ。


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ただいまのご賛同者数。 [最新情報]

遠山五郎「デスマスク」192412.jpg

 「中村彝(つね)アトリエ保存会」へご賛同いただき、ありがとうございます。
 現在の署名数を、ご報告いたします。新宿区内からのご署名により微増しています。下落合の佐伯祐三アトリエでは、来年の4月28日(予定)の内部公開に備えてリフォームClick!が進んでいます。彝アトリエも、同様に新宿区の文化財として末永く保存できればと考えています。「アトリエ保存会」では、ひきつづき彝アトリエの保存が少しでも早く実現できるよう、所有者の方および新宿区へ働きかけてまいります。より多くの方々の、ご賛同が得られればと存じます。
 現在のご賛同者数は・・・
  3,394名
 となっています。なお、ご賛同いただきました署名は、「保存会」より新宿区およびアトリエ所有者の方へ随時おとどけいたします。よろしくお願い申し上げます。

写真は、保田龍門らによって取られた中村彝のデスマスク原型(1924年12月25日)です。1988年に、茨城県の中村家本家の土蔵から発見されました。


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ただいまのご賛同者数。 [最新情報]

庭先.jpg

 「中村彝(つね)アトリエ保存会」へご賛同いただき、ありがとうございます。
 現在の署名数を、ご報告いたします。地元の下落合からの署名により微増しています。このところ、下落合にお住まいの方から署名用紙を送ってくださいというご連絡が、事務局にとどいています。なかなか保存が進展しないことに、しびれを切らされている方も多そうです。「アトリエ保存会」では、ひきつづき彝アトリエの保存が少しでも早く実現できるよう、所有者の方および新宿区へ働きかけてまいります。より多くの方々の、ご賛同が得られればと存じます。
 現在のご賛同者数は・・・
  3,393名
 となっています。なお、ご賛同いただきました署名は、「保存会」より新宿区およびアトリエ所有者の方へ随時おとどけいたします。よろしくお願い申し上げます。

写真は、中村彝アトリエの庭先で椿が植わっていたあたりの現状。


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曾宮一念『夕ばえ』(求龍堂/1943年) [中村彝を知るための45冊]

夕ばえ1943.jpg 海辺の村(白壁の家)1910.jpg

 1943年(昭和18)の太平洋戦争中に求龍堂から出版された、曾宮一念のエッセイ集『夕ばえ』です。本書は、処女随筆集『いはの群』(座右寶刊行会/1938年)が出版されてからのち、曾宮が新聞・雑誌へ発表したり、手元に書き溜めておいたエッセイをまとめたものです。『いはの群れ』に比べ、中村彝に関する記述は少なくなっていますが、やはりところどころに想い出が登場しています。曾宮が在学当時の東京美術学校では、油彩画を描くのに「1号あたり1日の制作時間がめやすだ」というようなことが語られており、20号であれば20日間の制作リードタイムが必要とされていたようです。中村彝が1910年(明治43)に制作した、20号の初期作品『海辺の村(白壁の家)』は描くのに3ヶ月(90日)かかったという、曾宮が彝自身から得た証言を書きとめており、明治期の油彩画における制作速度は、曾宮が美術学校に在学していた大正前期よりもはるかに遅かったのではないかと、実例を出して分析しています。
 古書店ではよく流通しているのを見かけますので、本書の入手は比較的容易です。ただし、戦時中に出版されたせいで紙質が悪く、コンディションのよいものは少ないようです。大きめな図書館では収蔵しているところがみられますが、館内閲覧のみで館外貸し出しを禁止しているところが多いようです。美術館などのライブラリーにも収蔵されていますが、同様に資料室内での閲覧のみに限られているようです。

写真は本書の表紙と、1910年(明治43)に房総半島の布良(めら)で制作された中村彝『海辺の村(白壁の家)』。


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サイトへの総アクセス数が13万人を突破。 [最新情報]

遠山五郎「病床のN君」1923.jpg

 「中村彝(つね)アトリエ保存会」サイトへの総アクセス数が、先月末でのべ130,000人を超えました。ほんとうに多くの方々に、いつも当サイトをご覧いただきありがとうございます。
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 ひきつづき、みなさまからのご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げます。

写真は、前回掲載の頭を丸坊主Click!にする直前、遠山五郎のモデルになったベッドに横たわる中村彝。1923年(大正12)6月に制作された遠山五郎『病床のN君』です。


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運営活動資金のご報告。(10月期) [最新情報]

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 彜アトリエの保存へご賛同いただくみなさまから、「中村彝アトリエ保存会」の運営活動費としまして、郵便口座や事務局へご寄付をいただいております。「保存会」一同、改めて心よりお礼申し上げます。10月末現在の運営活動費の収入および支出は、先月と同様で変化はありません。
 ●総収入:421,071円
 ●総支出:158,180円
 差引金額:262,891円
 「保存会」ではご賛同いただけるみなさまへ、その活動が持続できるよう運営活動費のご寄付をお願いしております。趣旨にご賛同いただき、運営活動費へのご支援・ご協力をいただける方がいらっしゃいましたら、当該の郵便口座あてにお振り込みをいただければ幸いです。
 中村彝アトリエを、末長く後世へと保存できるよう、「保存会」活動へのみなさまのご理解、そしてご支援・ご協力をよろしくお願い申し上げるしだいです。

作品は、1923年(大正12)7月に描かれた『自画像』。彝は同年夏、病床で遠山五郎のモデルになっていましたが、その直後に頭を剃って丸坊主にしています。


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曾宮一念『いはの群』(座右宝刊行会/1938年) [中村彝を知るための45冊]

いはの群1938.jpg 曾宮一念「落合風景」1920.jpg

 1938年(昭和13)に座右宝刊行会から出版された、曾宮一念のエッセイ処女作『いはの群』です。本書は、中村彝が死去してから14年後に刊行されたものですが、当時も曾宮は下落合623番地(1938年当時は淀橋区下落合2丁目623番地)にアトリエをかまえていたことから、中村彝をめぐる想い出話がところどころに登場しています。また、同じ下落合の町内に住んでいた画家たちとのエピソードなども語られています。同書は、1938年(昭和13)に書き下ろされたものではなく、それまでに発表されていたエッセイをまとめた内容となっており、大正期から昭和初期にかけての下落合と、その周辺をめぐる画家たちの様子を知ることができる貴重な資料となっています。また、当時の曾宮一念の画論や、自身が下落合で主宰していた画塾「(第2次)どんたくの会」用に書かれたものか、西洋画入門のような稿も収録されており、帝展を中心に活躍した中村彝と二科をベースに活躍した曾宮一念との、絵画に対する視座の違いも興味深い内容となっています。
 古書店ではよく流通しているのを見かけますので、本書の入手は比較的容易ですが、限定800部の出版のせいかかなり高価となっています。曾宮一念の著作は、その多くが図書館や美術館の資料室でも閲覧することができますが、本書に限っては収蔵しているところが非常に少なく、国立東京近代美術館のライブラリーでも未収蔵となっています。

写真は本書の函表と、1920年(大正9)に曾宮一念が中村彝アトリエの北西に建つメーヤー館(目白福音教会宣教師館)を描いた『落合風景』。


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