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『中村彝の全貌』(茨城県立美術館・他/2003年) [中村彝を知るための45冊]

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 2003~04年(平成15~16)にかけて、茨城県近代美術館と愛媛美術館で開かれた「中村彝の全貌」展で販売された図録です。現在、比較的入手しやすい図録の中で、中村彝の代表作品が網羅的に紹介されている優れた編集です。以前にご紹介した『歿後六十年記念・中村彝展』Click!(1984年)には、彝の素描・デッサンなど細かい作品までが採録されていますが、当画集は作品がモノクロではなくオールカラーで掲載されており、中村彝の仕事に接するには最適な1冊といえます。彝が描いた『目白の冬』(1920年)の、画面中央にある建物を「元結い工場」と比定しかかっていますが、もちろんこの建物は彝アトリエの裏にあった目白福音教会のメーヤー館(宣教師館)です。その右に見えている建物も教会の一部で、大正末期には「英語学校」の校舎として使われていました。「元結い工場」は、キャンバスの画面右枠外に建っていて描かれていません。なお巻末には、中村彝の詳細な年譜が掲載されています。
 全国にあるほとんどの美術館のライブラリーや、付属の資料室には収蔵されていると思います。また、地域によっては図書館にも置いてある可能性があります。

写真右は、彝アトリエ裏手の風景『目白の冬』に描かれたメーヤー館(中央)と英語学校(右端)。

 


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『新宿歴史博物館紀要・創刊号』(1992年) [中村彝を知るための45冊]

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 1992年(平成4)に発行された『新宿歴史博物館・創刊号』には、中村彝(つね)の親友のひとりだった洋画家・曾宮一念のインタビュー記事が掲載されています。曾宮一念は、中村彝のアトリエから西へ400mほどの、下落合の地元では「諏訪谷」と呼ばれた谷戸の上へ、1921年(大正10)にアトリエを建てて住んでいました。曾宮と彜とは、今村繁三が開催していた「牛鍋会」で知り合い、谷中時代そして下落合時代を通じて親しく交流しています。曾宮は彜を見舞うため、彝アトリエへ足繁く通っていましたので、もっとも多くの時間をともにした身近な友人のひとりです。同紀要のインタビュー時には99歳を迎えていましたが、その明晰な頭脳と記憶力は衰えていません。彝が亡くなったとき、岡崎きいが知らせに走ったのは鶴田吾郎アトリエだけでなく、その帰り道に曾宮アトリエにも寄っているのがわかります。また、彝と同様に下落合で親しかった、佐伯祐三や会津八一についての証言もたいへん貴重です。
 『新宿歴史博物館・創刊号』は現在品切れとなっており、新宿区や新宿歴史博物館では入手することができません。また、収蔵されている図書館は都内の公立図書館では半数ほど、また美術館・博物館関連では新宿歴史博物館、東京現代美術館、東京国立博物館、江戸東京博物館などのライブラリーに収蔵されています。

画像右は鶴田吾郎『初秋』(1921)。描かれているのは曾宮一念と、完成直後の曾宮アトリエ。


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宮芳平『音信の代りに友に送るAYUMI』(野の花の会/1987年) [中村彝を知るための45冊]

 

 1920年(大正9)より中村彝(つね)に師事し、その後、長野県の高校で長く美術教諭をつとめた洋画家・宮芳平の遺稿集です。40歳のときから6年間、個人誌「音信の代わりに友に送るAYUMI(歩み)」を発行しつづけ、20年余の休刊をはさんで、再び78歳で亡くなるまでの14年間にわたり発刊をつづけました。その膨大な著述の中には、師である中村彝の思い出についての文章もみられ、下落合のアトリエですごしたときの様子などが詩的に表現されています。また、宮芳平は1915年(大正4)の第9回文展初入選とともに、森鴎外の小説『天寵』のモデルとしても有名です。
 『音信の代りに友に送るAYUMI』は、一般の書店では販売しておらず、長野県諏訪市にある「野の花の会」(0266-52-4059)で、一部2,000円(送料別)にて頒布されています。

写真右は宮芳平『自画像』。


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『茨城県近代美術館紀要』第12号(茨城県近代美術館/2006年) [中村彝を知るための45冊]

 

 中村彝に関する最新研究の「紀要」第12号には、舟木力英・著の「中村彝の訳稿問題」が掲載されています。イポリット・テーヌの『藝術の哲学』とチェンニーノ・チェンニーニの『藝術の書』について、中村彝の翻訳原稿からさまざまな課題を扱った内容となっています。特に、原稿の表面に「鈴木良三筆写」とされているものについての論考は緻密です。現存する原稿の筆跡の違いや、原稿用紙の種類などに着目し、中村彝の真筆原稿と鈴木良三などによる筆写の原稿とを細密に分類していきます。当時、中村彝が残した原稿類は「中村画室倶楽部」が管理しており、出版あるいは発表するにあたり、画室倶楽部のメンバーが彝の翻訳原稿を筆写したり、あるいは補正していたのではないかと思われます。
 美術館の資料室やライブラリーには、たいがい収蔵されています。また、本書は現在でも販売中で、茨城県近代美術館のミュージアムショップ「ノービス」で購入することができますが、一般の書店では扱っていません。ミュージアムショップでは通信販売も行っていますので、詳細は下記へお問い合わせください。
 茨城県近代美術館 ミュージアムショップ「ノービス」  TEL.029-243-8765
  〒310-0851 茨城県水戸市千波町東久保666-1


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相馬黒光『黙移-新装版-』(法政大学出版局/1977年) [中村彝を知るための45冊]

 1934年(昭和9)より『婦人之友』に連載されていた、新宿中村屋の相馬良(黒光)のエッセイをまとめたのが本書です。1938年(昭和13)に、女性時代社から単行本が出版されたのを皮切りに、戦後は東和社、ほるぷ、郷土出版社、法政大学出版、日本図書センター、平凡社など数多くの出版社より、増補版や改訂版、新装版が刊行されました。新宿中村屋と中村彝をめぐるさまざまなエピソードに関する、一方の当事者からの記録です。黒光自身の経歴や明治女学校時代の思い出、興味のある文学分野の記述が多い中で、彜との関わりは「美術家との交わり」、「ロシア文学の研究」、「早逝したる桂井當之助氏」、「俊子をめぐりて」、「エ氏の日本退去」など随所に登場します。ただし、多くの作家たちとの交流に比べて、彝の記述は相対的に少なくなっています。本書で初めて、黒光自身により「オカーサンは悪党だ、埒のそばまで人を引き寄せておいて、その内には一歩も踏み入らせないやり方だ」という、彝の有名な言葉が紹介されています。
 現在、いずれの出版社からの『黙移』も絶版となっているようです。ただし、古書店や古本ネット通販では、容易に入手できます。また、数多くの出版社から刊行されていますので、全国どこの図書館でもたいていは収蔵されており、手軽に閲覧することができます。

写真は、1977年に法政大学出版より刊行された相馬黒光『黙移~明治・大正文学史回想~』。


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曾宮一念『東京回顧』(創文社/1967年) [中村彝を知るための45冊]

 中村彝のアトリエ近くに住み、頻繁に彝を訪問していた曾宮一念によるエッセイ集です。本書の中では彝と会津八一を取り上げた「二人の独身芸術家」をはじめ、彝とその周辺に去来する人々のことを、日本橋生まれらしい気どらない洒脱な文章で描いています。また、曾宮が所蔵していた中村彝の筆による、たいへん珍しい彝マンガも収録されています。本書の内容は、曾宮一念による東京の思い出がメインであり、彝に関連する記述は飛びとびであちこちの項に散在していますが、もっとも近くにいた友人による貴重な証言集となっています。
 古書店や古本ネット通販では見かけることがありますが、かなり高価です。一般の図書館よりも、美術館の資料室やライブラリーなどのほうが収蔵している可能性が高く、閲覧しやすいのではないかと思います。

 


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中原信『中原悌二郎の想出』(日動出版/1981年) [中村彝を知るための45冊]

 

 中村彝(つね)の女友だちのひとり、またのちに彝の親友である中原悌二郎の妻となった中原(伊藤)信の著作です。夫の悌二郎についてはもちろん、夫妻の身近にいた彝のことについても頻繁に触れられています。中原信は、新宿中村屋へ寄宿しているとき、娘の相馬俊子や千香と同室で暮らしていました。また、しばらくの期間、相馬家の家族や彝とともに食卓をかこんだ経緯があります。彝のアトリエを訪問するとき、その親しみからか岡崎きいのがんばる西側玄関からではなく、庭先の生垣を飛び越えて直接アトリエを訪ねていったことから、きいから“不良娘”というレッテルを貼られてしまった“有名”な女性です。彼女と中原悌二郎との結婚をとりもったのは、ほかならない彝自身でした。中原悌二郎が、1919年(大正8)に彝アトリエで制作した「若きカフカス人(ニンツァー像)」についても、その前後の事情も含めて詳しく書かれています。また、彝ばかりでなく、その周辺にいた画家や彫刻家たち、あるいは中村屋へ出入りした人々の様子も詳しく伝えています。
 絶版になっている本ですが、古書店や古本ネット通販で比較的たやすく入手することができます。また、たいがいの図書館や美術館の資料室にも収蔵されていますので、手軽に閲覧できます。

写真右は、中原悌二郎と結婚したころの中原信。


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『茨城県近代美術館研究紀要』第11号(茨城県近代美術館/2004年) [中村彝を知るための45冊]

 

 中村彝に関する最新研究の「紀要」第11号には、舟木力英・著の「中村彝の名前と署名」が掲載されています。彝をはじめ、兄の「直」や「中」という名前の漢字が、幕末における水戸学の会沢正志斎や藤田東湖などの著作に散見されることから、後期水戸学に心酔していた父親がそれらの書物から引用したのではないかという考察がなされています。また、彝の作品署名について、各時代ごとに細かくその筆跡が研究されています。興味深いのは、署名全体の37.6%にもおよぶ漢字署名の中で、彝自身が署名で「彝」(米に糸)と書いているものと、「彜」(米に分)と書いているものとが混在している点です。つまり、中村彝と表記するとき、「つね」の字が「彜」(米に分)の表記でも、必ずしも誤りではない・・・ということになります。これは、洋画家・松本竣介を「俊介」(本名)と書いても誤りではないように、どこか近似した署名テーマのようにも思えます。さらに、英文字やイニシャルの筆跡についても、詳細な研究がなされています。
 美術館の資料室やライブラリーには、たいがい収蔵されています。また、本書は現在でも販売中で、茨城県近代美術館のミュージアムショップ「ノービス」で購入することができますが、一般の書店では扱っていません。ミュージアムショップでは通信販売も行っていますので、詳細は下記へお問い合わせください。
茨城県近代美術館 ミュージアムショップ「ノービス」  TEL.029-243-8765
  〒310-0851 茨城県水戸市千波町東久保666-1

表紙写真は、最新の『茨城県近代美術館紀要』第12号。


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『中村彝展』図録(日本経済新聞社/1967年) [中村彝を知るための45冊]

 

 日本経済新聞社の主催による『中村彝展』は、1967年(昭和42)と1973年(昭和48)の二度にわたって開かれています。この図録は、1回目の1967年(昭和42)に出版されたもので、新宿ステーションビルの6階を会場とし、彝の画業を顕彰する当時の「中村会」も全面的に協賛しています。作品のカラー画像がわずか7点しか掲載されておらず、あとはモノクロの画像ばかりですので作品の詳細はつかめませんが、彝の友人である鶴田吾郎が「新宿と中村彝」という一文を寄せています。彜の仕事の全貌を知るには、少しもの足りない内容ですが、薄めの図録ですので身近において手軽に参照するには最適な1冊といえます。
 数多く刷られたせいか、1967年(昭和42)と1973年(昭和48)の両図録とも、古書店や古本ネット通販でかんたんに入手することができます。また、ほとんどの美術館などの資料室やライブラリーでも閲覧することができます。


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『ATELIER(アトリエ)』2月号(アトリエ社/1925年) [中村彝を知るための45冊]

 中村彝(つね)の追悼特集を、2回にわたって組んだ『木星』を以前ご紹介しましたが、この美術誌『ATELIER(アトリエ)』も、1925年(大正14)の2月号で同様の追悼号を出しています。本誌では、巻頭に彝の作品を数点カラーで紹介し、恩師や友人によるの追悼文を掲載しています。すなわち、満谷国四郎「中村彝君」、鶴田吾郎「人としての中村君」、税所篤二「中村彝氏を憶ふ」の3人です。また、彝亡きあとの、当時のめずらしいアトリエの写真なども掲載されています。
 ほとんどの図書館には、残念ながら収蔵されていません。古書店や古本ネット通販などでも、めったに見かけることがありません。80年前の美術誌ですので、美術館などの専門資料室やライブラリーを探したほうが、保管されている確率が高いようです。

 


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